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【学びは】独学が得意になったきっかけ②東大編【悩みの処方箋】

オンライン国語教室・小論文教室オトモです。

このブログでは

中学で長期入院→不登校→高校中退→東大→国語専門塾運営

の道を進んだ私、あもれが、
独学を効率的に進めるための学習方法を提案していきます!

自力で資格試験や大学受験に挑戦したいと考えている人
なるべくお金や時間をかけずに新しいことを学びたい人、

に、少しでもお役に立てるように解説していきますので
よろしくおねがいします!

独学が得意になったきっかけ②東大編 

  1. 中学・高校時代の不登校体験 
  2. 大学時代の論文や本を通じての学び ←いまここ
  3. 塾の運営を通じてのケーススタディ

東大に入学。しかし・・・

長期入院→不登校→高校中退

を経て上京。 

19歳の時、東京大学に入学しました。

中学〜高校の6年間で、
トータル1年くらいしか、通学していないんじゃないか。。
 

相変わらず、集団行動は苦手。

大学でも同年代の人がたくさん集まる教室に行くのは緊張してしまい、
キャンパスに行ったは良いものの、教室に入れないこともしばしば(._.) 

だけれど、大学とは中学〜高校よりもずいぶん寛容で、

たとえば、

  • 大教室での授業はそもそも履修せず、少人数授業を受講して単位を取る
  • 授業には行けない時は、そのぶん自分で本や論文を調べて勉強してレポートを提出することで単位を取る

ということができたので、
マイペースに学びながら、友達もできました。

とてもありがたく、恵まれていた一方で、
自分の状況が不思議で、不安で、たまらない自分もいました。

受験に成功しようが、自尊心は回復しない。

当時の私は
とにかく自分に自信がありませんでした。

私は中学時代に生命の危機に瀕するほどに心身を病んでから、
自分の健康状態がいつも不安でした。
また、
いちど重度の心身症と診断されながらも、
これまでちゃんとした治療も受けず、
学校にも行かない自分には、

教養や社交性、忍耐力に倫理観・・・
「普通」に生活をしていくための能力が
足りないのだと、思いこんでいました。 

心身ともに「不健康」で、
周囲の人間とは分かり合えないくらい「異常」で、
何もできない「無能」な人間。

それが、私のセルフイメージでした。

しかし、
そんな私が実際は
元気に暮らして、東大にも受かって、人間の友だちもできている!

状況的には嬉しいのですが、
自分の人生が、自分のものでないみたいで、
どこか落ち着きません。。

外面的には明るく大学生活を送っている一方で、
内面の強烈な劣等感はずっと抱えたまま、

いつかこの不安が爆発して
また病院送りにされしまうのではないか、
大学にすらいけなくなってしまうのではないか、
社会人として働くことなんて、できるわけがない・・・

と、はらはらとした焦燥感にかられながら暮らしていました。

疑問があるなら、調べてみよう!

どんなに環境を変えようとも、
変わらない劣等感と焦燥感。

放置しておくのもつらいので、
私は、自分の苦しみがどこから生まれてきたのか、
さまざまな角度から調べてみることにしました。 

東大は最初の2年間「教養学部」に所属して、
理系・文系問わず、さまざまな分野の授業を履修することができます。 
おまけに、生徒は巨大な図書館と、最新のmacが使い放題です。
その環境を利用して、
自分の悩みや、これまでの人生で抱き続けてきた違和感を、
少しでも解消しようと必死に学びました。

たとえば、教育学。

「学校教育」とは、どのような役割をしているのか。
なぜ、それを受けることが「義務」とされているのか。
「教育」を受けないと、どうなるのか。

哲学や、倫理学。

「幸せ」の定義とは何か。「不幸」とは?
「学ぶ」ことと「幸せ」は、どのように関係しているのか

脳科学や、心理学、医学。

どうして人は心を病んでしまうのか。
どうすれば、病んだ人の心は癒やされるのか。
どのような状態が「健康」なのか。
「学ぶ」とは脳内で何が起こることか
脳内でどんな事が起こっているから、
人は「幸福」や「不幸」を感じるのか・・・

ちなみに、卒論執筆時は「幸福と勉強の相関性」をテーマに宮沢賢治の著作を研究しました。

なかなかの中二病ではあるのですが、
中二病も、ここまで極めればそれなりの成果は出ます笑

知識が増え、頭の中が整理されることで
自分が10代で経験したことの意味がわかりはじめ、
ずっと自分を苦しめてきたいくつかの思い込みも、
だんだん否定することができるようになってきました。

なぜ独学で東大に合格したのか〜考察してみる〜

【仮定1】学校に行かない→セルフアクティブラーニング!?

アクティブラーニング、聞いたことがある方もいるかもしれません。

旧来の、講義中心で受動的な教育方法を改め、
「主体的」で「対話的」な「深い学び」の実現を目指す教育方針のことで
フィンランドなどの先進国で積極的に取り入れられていたり、
近年は日本でも文科省から推奨されています。

その理由は「複雑化している社会を生き抜くには、積極的に学ぶ姿勢が大事になる」からというのが一般的ですが、
「人間の脳の構造上、積極的に学んだほうが受動的に学ぶよりも知識が定着しやすい」ということも、根拠とされています。 

日本の学校での学びはまだ「受動的」なところがありますよね(._.)

あらかじめ決められた時間割に合わせて授業を受講し、先生の話を板書して、宿題をこなして、定期試験の範囲を勉強をする・・・
そんな学校での学びは、自分から望まなくても一定量の知識が手に入るというメリットはあるものの、
積極的に学ぶ機会が少ないという一面もあるのかもしれません。。。

 
一方の私は、
本当に自分から学びたい!と思った時にしか、勉強をしていません。
まったく勉強をしないで、何ヶ月も治療やアルバイトに専念していた期間もありました。
(いばることではありませんが)宿題も、提出できたことがほとんどありません。


ただ「勉強をしたい!知識がほしい!」と思っている時期は、
夢中になりすぎて、気がついたら寝食を忘れて何時間も机に向かっているほど貪欲に学んでいました。

病人や、不登校生や、フリーターをしていると、
人から勉強を教えてもらう機会がほとんど無いなので、
基本的に勉強は自分で進めるしかありません。
 
だからこそ、勉強をする時はいつも心から知識がほしいと望んでいたし、
どうしても自力で進められない時は、
親に頼みこんで塾に入れてもらったり、
通信制高校の先生にアポを取って質問に行ったりせざるを得ないので、
自然と積極性も生まれました。

また、拘束時間がなかったぶん、
ハマった勉強にはとことん時間をかけられました。
文章を書くことにこだわっていた時期は、
原稿用紙1枚の作文を、7時間くらいかけて書いていたこともあります。

今思えば、誰にも勉強を強制されないからこそ、

自分の好奇心に応じて、
「主体的」で「対話的」で「深い学び」(=アクティブラーニング)が、
できていたのかもしれません。

【仮定2】 瀕死の状態を経て、かえって記憶力が強化された!?

動物は基本的に、生存と子孫繁栄を目的として生きているので
ピンチのときほど能力がフル稼働するそうです。

空腹のライオンのほうが、満腹のライオンよりも
ライオンに追いかけられているシカのほうが、草原を駆けているシカよりも
早く走れるというわけです。

私は中学時代に2回、
「このままでは、命があぶない・・・」と言われているので・・・
生命の危機があったからこそ、脳が活性化したのかもしれません。

【仮定3】 周りの人と比べない状況の方が集中できる!?

先程も書いたのですが、
当時の私は、
じぶんが「不健康」で「異常」で「無能」だと思いこんでいました。

けれど、歴史や文化を学んでみると
「正常」や「異常」の基準はかなり、あいまい
だということがわかります。

どういう状態を「病気」と呼ぶかも、
時代と地域によってずいぶん異なります。

そういった人間の価値判断のあいまいさや、
「環境」が人々の心理や考え方にあたえる影響の大きさを学ぶことで

じぶんが「正常」で「健康」かどうかは、
究極的には自分で決めればいいことなのではないか・・・


と考える
良い意味の図々しさが持てました。

それにより、
自分で自分を苦しめていた「思い込み」から少しずつ解放されて、
生きるのがだいぶ楽になりました。


また、
中学校や高校が「思い込み」を助長しやすい場所だったから
あんなに、つらかったんだな

ということにも、改めて気が付きました。

同い年の人ばかりで、同じ服を着て、同じことをしていると、
どうしてもお互いに小さな差異ばかりが気になってしまいますよね。 
学習面もそう。
内申がつけられ、定期試験があることで、
偏差値や点数を相互に比べ合い、評価しあい、競い合う緊張感が生まれます。

このように
「小さな差異を周りと比べ合う」環境にいては、
客観的に自分を見ることが難しくなり、「思い込み」は助長されてしまいます。

入院したり、高校を中退したりしたことで
「小さな差異を周りと比べ合う」環境から距離をおいていたことが、
心身の回復、学習の効率化の双方に繋がったのだと思います。

独学で勉強をしていると、学習到達度を人と比べ合う機会がありません。
「自分は勉強ができる」と思い上がることもなければ、
「自分は異常だ」という強い思い込みも、1人で勉強に集中している時は忘れていられます。

進学校を退学したことで、かえって進学に適した環境を得られた・・・
のかもしれません。

まとめ

今回は、

私が効率の良い学習方法をどのように身に着けたのか
東大入学後に学んだこと、考えたことから考察しました。

  • 「自分でやるっきゃない」状況
  • 「生命の危機」的状況
  • 「周囲の人間と比較しないで済む」状況

が、独学に向いている
というのが、今回の結論です。

病気、不登校、中退、メンタルの疲弊・・・
一般的に不運と言われる出来事が重なったからこそ、
自分で勉強できる力が身についたのだと
今、振り返っては思います。

人生万事塞翁が馬とは、これまさに(^o^;)

ここから考えると、
今、当時の私と同じような状況・心境の方は学びのチャンス。
また、自分を追い込んで何かに取り組みたい時は、
簡易的にでも上の3つの状況に近づけてみると、結果を出しやすいと思います。

次回は、社会人編。

国語専門塾での経験と、そこから考えたことをお話します(^^)